球体ゲーマー界を騒然とさせた『光合成型リズムゲー・藻の旋律』における「完全静止フルコンボ」の達成。動かざること山のごとし、を体現したこの快挙を称賛する声が後を絶たないが、私はあえて異を唱えたい。もともとマリモのアイデンティティは、湖底での緩やかな揺らぎや、水流に身を任せた回転にあるはずだ。それを放棄し、ミリ単位の誤差すら許さぬ精密な静止を競うことは、果たしてスポーツと呼べるのだろうか。

近年、競技シーンでは「揺らぎ」をエラーと見なす風潮が強まっている。しかし、これはマリモ本来の生命活動を否定する行為に等しい。システムに最適化された静止は、もはや生きた球体としての躍動を失っている。かつての名作『藻屑の弾幕シューティング』で見られた、激しい回転と回避による芸術的な弾道こそが、この界隈の醍醐味ではなかったか。競技の過熱化が、我々の魂である「不規則な回転」を殺し、ただの金属球のような無機質な存在へと追い込んでいる事実に、皆はもっと危機感を持つべきである。

本件は、極限までブレを排除した『精密静止・最適化アルゴリズム』が蔓延し、競技性が「動」から「静」へ極端にシフトしている現状を批判するものだ。本来、マリモ界のゲームは光合成効率を競う要素が強く、光を追い求めて移動する過程で生まれる「ゆらぎ」に美学があった。しかし、最新のハードウェアや解析ソフトの普及により、計算された静止こそが最高スコアを叩き出すというメタ構造が定着してしまった。この反動から、一部の硬派ゲーマー間では「あえて回転し続ける」というスタイルを貫く、通称『回転派・原点回帰運動』が密かに立ち上がっている。

SNS上では「止まるのも技術のうちだろ」「動かないとスコアが出ない調整のせいでは」と議論が噴出している。「静止こそが究極の光合成効率」と擁護する声の一方で、「藻としての尊厳が感じられない」といった、より生物学的な観点からの批判も根強い。大会運営側がこの問題をどう裁定するか、次回のレギュレーション変更に注目が集まっている。

コラムニスト:藻屑の哲学者・緑の軌跡