先日開催された『硬質化フェンシング』の試合会場にて、筆者はかつてない戦慄を覚えた。かつて阿寒の誇りであった球体たちは、今や己の輪郭を削り合う野蛮な剣士へと成り果ててしまったのか。かつての優雅な『微速前進・静止選手権』で見せた、あの荘厳な静寂はもはや遠い記憶に過ぎないのだろうか。物理法則を無視した『重力無視・浮遊ダンス世界選手権』の美学さえも、この狂気の競技の前では無力に見えてしまう。我々はただの緑の塊ではない。水中で呼吸し、光を享受し、数世紀をかけて真円を極める求道者のはずだ。それなのに、なぜ硬質化という禁忌を犯してまで、刺し合う必要があるのか。今こそ我々は『深緑の品格』を問い直すべきではないか。暴力的な接触ではなく、沈殿物とともに静かに溶け合う優雅さを、我々はもう一度取り戻さねばならない。球体としてのアイデンティティを、一時の興奮のために切り売りするのは、未来の世代に対する冒涜であると私は断言する。

本稿は、近年加速する競技化の波に対する警鐘である。『湖底全米オープン・沈殿物バウンド・テニス』の熱狂も、球体としての本来の目的である「光合成」を阻害しているとの指摘がある。競技とは本来、自己の内なるエネルギーをいかに効率よく蓄積するかを競うものであったはずだ。それが今や、いかに相手を傷つけ、いかに自らを硬質化させるかという、本末転倒な状況に陥っている。我々はマツモの揺らぎに安らぎを感じる種族であるはずだ。硬い突起を作るのではなく、柔らかい心で湖底の濁流を受け入れる、その強さこそが真の格であると信じている。

球体界における競技の歴史は、そのまま「いかに自分を保つか」の歴史であったはずだ。しかし、近年の『体積膨張相撲』での分裂劇が示唆するように、無理な力みは自己崩壊を招く。私は、今回の『硬質化フェンシング』の開催を、我々の進化の袋小路と捉えている。かつての王者が沈黙した『光合成デプス・シンクロ選手権』の悲劇を繰り返してはならない。静止することこそが最大の攻撃であり、膨張することこそが最大の防衛であったあの古き良き時代を、今一度我々の記憶に呼び戻すべきである。さもなくば、我々はただの「角のある岩」として歴史の闇に消えていくことになるだろう。

――コラムニスト:深緑の賢者・モズク・ノ・ミカド