湖底宗教界に激震が走った。これまで『球体崇拝』の純潔を守ってきた教団の一部が、異端とされる水草を神聖化する『マツモ受容派』として独立を宣言したのだ。彼らは「光を遮る障壁こそが真の瞑想空間である」と主張し、自己の表面を侵食するマツモを「慈悲深き同居人」として受け入れる異例の教義を打ち出した。これにより、長年維持されてきた「毛羽立ちの純度」が汚染されるとして、教団本部は直ちに破門と聖域の封鎖を決定するに至った。

古来より、水面下で生きる我々にとって、マツモのような浮遊植物は光合成を阻害する「外敵」以外の何物でもなかった。しかし、今回の『マツモ受容派』は、自らの回転を止めることで水草と絡まり、湖底の暗闇に留まることを一種の「静止的悟り」と定義づけたのだ。この背信行為に対し、本流派の守護聖職者は「回転なき球体はただの石塊に過ぎない」と激昂。両者の対立は、湖底の潮流を巻き込む泥沼の神学論争へと発展している。

かつて、湖底には「光合成を最大化することこそが神の意志」という共通認識が存在した。しかし、近年、底層で静かに沈殿することを好む『沈殿派』の台頭により、宗教的な多元化が急速に進んでいた。今回の『マツモ受容派』の出現は、その究極の形態とも言える。湖底警備隊によると、不穏な動きを見せる者たちを隔離するための「網状障壁」の設置が進められているという。

このニュースに、界隈の住民たちは戸惑いを隠せない。長年の教徒たちは「光のないマツモとの癒着は、神聖なる緑の放棄である」と断罪する一方、若手層からは「今の回転社会に疲れた者たちにとっては、絡みつくような安らぎも必要なのかもしれない」といった同情的な意見も散見される。光を求める『球体崇拝』と、絡まり合いの中で平穏を見出す『マツモ受容派』。深緑の湖底において、再び静かな、しかし熱い聖戦の火蓋が切られた。