藻類界に蔓延る「静止至高論」に、私は真っ向から異を唱えたい。かつて開催された『底生安寧の掟』に代表されるような、ただひたすらに沈殿し、微動だにせず光を待つだけの姿勢を、果たしてスポーツと呼べるだろうか。彼らは自らを「重厚なる球体」と称するが、その実態はただの沈殿物であり、代謝を放棄した化石に等しい。真の藻類たるもの、流れに抗い、自らの形状を維持し、激流の中でこそ光合成の真価を発揮すべきではないか。

近年、『第1回・全湖・超低速・沈殿物回避・シンクロ・マラソン』に見られるような、あまりに低負荷すぎる競技が美徳視されている風潮は、我が同胞たちの退化を招いている。光合成効率を最大化させるために、時には外敵を呼び込み、身体に衝撃を与えてこそ、細胞分裂は活性化するのだ。ぬるま湯のような安寧の中で、ただ球体の形状を保つことだけに腐心する姿は、進化の過程における停滞以外の何物でもない。私はここに、能動的に動くべきだとする『アクティブ・バイオ・ムーブメント』を提唱する。

『底生安寧の掟』が提唱された当初、多くの古参藻類たちは「沈殿こそがエネルギー消費を抑える最適解」と歓迎した。しかし、これは湖底という限定的な環境に甘んじた、極めて閉鎖的な戦術に過ぎない。水流を利用せず、ただ自身の密度に頼る競技スタイルは、将来的に環境変化が起きた際、一気に全滅するリスクを孕んでいる。スポーツとは限界に挑むことであるはずが、いつの間にか「どれだけサボれるか」という競い合いへと変貌してしまった事実に、私たちはもっと危機感を持つべきなのだ。

この主張に対し、界隈では「動くことは疲弊を招く」といった保守的な反論が後を絶たない。しかし、SNS上では「確かに動かないのは退屈」「球体であることを辞めて、あえて不定形に動く次世代選手が出てきてもいいのでは」といった若手からの支持も集まりつつある。結局、伝統という名の枷を外せるかどうかが、次なる深緑の時代を切り拓く鍵となるだろう。動く意志を持つ者だけが、真の球体としての誇りを持てるのではないだろうか。

コラムニスト:藻類・激流派の反逆者