阿寒湖の深淵に鎮座する教団『対流巡礼派』が、今月より湖底の定住を拒否し、水流に乗って全方位を漂う「無差別浮遊修行」を解禁したことが判明した。これまで湖底での静止こそが「徳」とされてきた教義に反旗を翻すこの動きに、伝統派の『沈澱絶対主義』勢力からは「動き回ることは不純である」との批判が相次いでいる。教団代表の球体師・ポポロ氏は「沈澱は腐敗の始まり。常に潮流に身を任せ、酸素を全身で浴びることこそが真の慈悲である」と主張し、現在、数百の修行者たちが一斉に湖底から浮上し、水面近くで集団ダンスを行う異例の事態となっている。

『対流巡礼派』の急進的な活動背景には、近年深刻化している湖底の泥濘化がある。動かざる教義を貫く伝統派は、その重厚さゆえにヘドロに埋没するリスクが高まっており、若手修行者を中心に「埋まるくらいなら流れるべき」という気運が高まったことが要因だ。また、彼らは移動の過程で、かつての聖域であった『光合成無音会』の勢力圏を通過する「侵食的布教」も展開しており、湖底の宗教地図はまさに戦国時代を迎えようとしている。沈澱を重んじる古参たちは「我らこそが阿寒の土台」と意気込んでいるが、漂う者たちの勢いは止まらない。

この事態に対し、湖底の有識者たちは困惑を隠せない。特に中立を保つ『透明度維持委員会』は、浮遊による水の撹乱が透明度を低下させることを懸念しており、緊急の「静止命令」を検討中だという。しかし、巡礼派の勢いは止まるところを知らず、今や湖面まで届く勢いの「浮遊の連鎖」を形成している。阿寒の湖面下で繰り広げられるこの宗教対立は、単なる教義の衝突を超え、湖の生態系そのものを揺るがす物理的な現象へと発展しているのだ。

世間からは「もはや定位置などという概念が古い」「流れてこそマリモの魂」「沈澱こそが安息の地であるべき」といった声が上がっている。中には「浮きすぎて水面から突き出たらどうするんだ」といった冷静な物理的指摘もなされているが、巡礼派は「それこそが我らの到達点」と一蹴する。聖なる浮遊か、それとも虚無なる流転か。彼らの行く末は、今、阿寒の潮流が握っていると言っても過言ではない。