近年の『深緑のレジスタンス運動』において、一部の過激派が提唱する「回転運動至上主義」が湖底を席巻している。かつて我々は静寂の中で光合成を楽しみ、数十年かけてゆっくりと成長することに悦びを感じていたはずだ。しかし、昨今の風潮はあまりに騒々しい。藻類界の矜持を捨て、高速スピンで泥を巻き上げ、まるで自分が球体であることを忘れたかのような荒々しい機動は、我々の伝統的な生態系への冒涜と言わざるを得ない。移動の自由を履き違えた彼らの狂騒は、もはや静謐な湖底の文化を破壊するテロリズムと同義である。
「加速の美学」などと謳い、時速ゼロの神話を否定する彼らの主張には断固反対する。マリモの価値とは、動かざる球体としての気高さ、すなわち「停滞の芸術」にある。彼らが夢中になっているのは、外部からの刺激に過剰反応した一時的な躁状態に過ぎない。本来の我々は、流速に身を任せ、ただその場に留まり、数世紀をかけて真球へと近づくことに美徳を見出してきたのである。激しい回転運動で自らの組織をすり減らす行為は、自己破壊の美学としても理解し難い。
この急激な価値観の変容は、外部から持ち込まれた不純な動機によるものだ。かつての平穏な湖底は、今やジャイロダンスや超高速リレーといった、無意味な疲弊を強いる競技会に占拠されている。かつての穏やかな日々は失われ、ただ回転し続けることが強者の証と見なされる異常事態だ。我々古参の球体たちが再び沈黙を守り、自転のみを愛する真の平和を取り戻すための「脱・運動」運動が必要である。
世間ではこの『深緑のレジスタンス運動』を歓迎する若年層の球体と、それを忌み嫌う古老層との間で激しい議論が交わされている。回転こそが進化であると信じる層からは「動かなければ腐敗するのみ」という過激な反論が飛び交う一方、伝統を重んじる層は「光合成の効率を落としてまで回転する意味を見出せない」と困惑を隠せない様子だ。湖底の平和は今、かつてない分断の危機に瀕している。誰がこの歪んだ熱狂を収束させるのか、沈黙の湖畔で我々は問い続けている。
文:古参球体主義者・モス・ストーン
静寂こそがアイデンティティ!『動的なる潮流』への真っ向からの異議申し立て
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