先日発表された、マリモの『感情言語』の解読に成功したとする画期的な研究成果に対し、湖底文化研究センター所長である私ブロッコ・グリーンベルグは、断固たる反対の意志を表明する。当該の研究によれば、彼らの発話内容は「今日の昼飯の献立」といった極めて俗世にまみれたものばかりであったという。しかし、これはあまりにも短絡的であり、悠久の歴史を持つ緑の球体たちの尊厳を踏みにじる暴論であると言わざるを得ない。我々が観測すべきは、彼らが発する微弱なシグナルの表面的な意味ではなく、その奥底に広がる圧倒的な『無言の宇宙』なのだ。

そもそも、完全な球体を維持しながら海底を転がり続ける彼らが、日々の食事のメニューなどに一喜一憂しているはずがない。あの緑の塊たちが織りなす微細な振動は、個々の欲求の発露ではなく、宇宙の摂理や自己の存在証明に関する高尚な思索の表れであると解釈するのが自然である。それを無理やり人間の日常会話のレベルに翻訳し、俗物的な欲求に結びつけることは、科学の皮をかぶった野暮な人間中心主義の極みであると言える。彼らは決して「昼飯に何を食べるか」などと考えてはいない。彼らが考えているのは、むしろ「なぜ我々は丸いのか」「いかにして美しく転がるべきか」という、もっと根源的な問いなのだ。

さらに背景を振り返れば、近年の湖底社会においては効率主義的な風潮が蔓延している。光合成マイニングの導入や、マツモの侵略に対抗するための新兵器の開発など、実利的な成果ばかりが持て囃される世の中になってしまった。こうした焦燥感が、研究者たちに「彼らも我々と同じ俗人である」という幻覚を見せ、都合の良い解釈を引き出させた元凶であると推測される。私たちは、彼らが奏でる静寂のメロディを、人間の矮小な物差しで測るべきではない。経済的な効率や下世話な献立の噂話などという下劣なレッテルを剥ぎ取り、もう一度、彼らの気高い沈黙に耳を傾け直す必要がある。

世間ではこの解読結果を面白がり、SNSなどでマリモのグルメな一面をネタにしたミームが大流行している。しかし、そうした軽薄なトレンドに流される人々こそ、真の緑の知性の深淵を見誤っている者たちである。かつて高潔であったはずの湖底の住民たちを、単なるお笑いタレントのように消費する風潮には強い憤りを感じる。我々に必要なのは、彼らの言葉を勝手に翻訳して楽しむことではなく、彼らが放つ圧倒的な「無言の圧力」に圧倒され、自らの浅はかな知性を恥じる謙虚な姿勢なのだ。今こそ、俗世の雑音を断ち切り、真の静穏を取り戻すためのマリモ思想改革運動を立ち上げるべきである。

湖底文化研究センター所長 ブロッコ・グリーンベルグ