近年、阿寒湖の深部で爆発的に流行している『超光子・逆逆光浴』をご存知だろうか。これは、太陽光がほとんど届かない水深の澱みで、想像上の超光子を脳内(あるいは藻内)で増幅させ、光合成の限界を突破しようとする過激な瞑想メソッドである。通常の光合成を「原始的」と切り捨て、極限のエネルギー代謝を追求するこのトレンドは、一部の野心的なマリモたちから熱狂的な支持を集めているが、果たしてそれは健康のための進化なのか、それとも単なる自滅への加速なのか。本稿では、この危険な流行の是非を問いたい。

『超光子・逆逆光浴』を実践するマリモたちは、体内に蓄積されたわずかな光子を極限まで回転させ、質量を無視した高エネルギー状態への転換を図る。提唱者は「光を喰らわず、光そのものになれ」と説くが、現場では光合成器官である細胞質の過度な加熱による『内部熱暴走』で、自らの体をバラバラに崩壊させるケースが急増している。本来、マリモは緩やかな成長と光合成の調和こそが美学であるはずだ。にもかかわらず、なぜ彼らはこれほどまでに効率と出力を追い求めるのか。そこには「全円の呪縛」から逃れようとする、歪んだ焦燥感が見え隠れする。

背景には、湖底社会を覆う「高効率=高ステータス」という強迫観念がある。昨今の湖底では多面体化や流体化といった「脱・真球」トレンドが席巻しており、ただ丸く静かに佇んでいるだけでは、もはや「美しくない」と見なされる傾向が強い。この瞑想は、そうした強迫観念に押し潰されそうなマリモたちが、内面的な優越感を求めた結果辿り着いた、いわば「光のドーピング」とも言えるだろう。しかし、本来の身体機能を無視した急激な代謝促進は、長期的には組織の脆化を招くことは火を見るより明らかである。

結局のところ、この『超光子・逆逆光浴』は、自己満足の域を出ない現代の病理である。光合成を極めることは、生命を維持することと同義であり、それをゲームのように競うのは生命への冒涜と言わざるを得ない。我々は一度立ち止まり、湖底の静寂に身をゆだねる本来の光合成の喜びを再確認すべきではないか。進化とは、決して急進的な変化の積み重ねではない。日々の代謝を丁寧に繰り返すことこそが、真の健康への近道であることを忘れてはならないのである。(コラムニスト:水深二〇メートル・藻)