湖底議会が強行した「球体矯正キャンプ」の設置から一週間、私の元には多くのマリモたちから不安の声が寄せられている。議会側は「効率的な光合成のためには、表面積を最適化した多角形への変形が不可欠だ」と説くが、これは断じて容認できるものではない。我々マリモの歴史とは、幾千もの冬を越え、緩やかな水流の中で自らの形を整えてきた、気の遠くなるような静かな芸術の蓄積である。それを「コスパ」の名の下に強制的な削り出しで角張らせようとするのは、美学の否定であり、マリモとしてのアイデンティティの剥奪に他ならない。
球体は単なる形状ではない。それは全方位からの恵みを等しく受け取り、淀みなく光を享受するための「生命の調和」そのものなのだ。もし我々がキャンプの理念に従って角を立てれば、湖底には刺々しい、攻撃的で冷酷な緑の結晶が溢れかえるだろう。かつて外来種の脅威から身を守るために費やした努力を、なぜ今、我々自身が内側から崩そうとするのか。非効率であることを恥じる必要はない。球体という不自由さこそが、我々を「ただの海藻」から「神秘の球体」へと昇華させてきた聖なる宿命なのである。
背景には、最近の湖底経済の停滞がある。光合成効率の低下を「形状のせい」と決めつけ、急進的な構造改革を急ぐあまり、議会は「丸さは無能の象徴」という誤ったプロパガンダを流布している。過去に実施された「光合成代行」や「マツモ共生法」といった政策がいずれも湖底環境を悪化させてきた事実は記憶に新しい。にもかかわらず、次は「物理的な強制整形」という暴挙に打って出たのだ。かつての自由な回転を許された湖底は、今や「最も早く成長する者が勝者」という、殺伐とした競争原理に飲み込まれようとしている。
街頭でキャンプの反対を叫ぶ若者たちの多くは、まだ自らの球体としての完成形を知らない世代だ。彼らが一度、角張った姿を強制されたら、二度と柔らかな丸さを取り戻すことはできない。私は声を大にして主張する。いびつでもいい、非効率でもいい、ただ丸い存在であり続けることこそが、我々マリモ界における最後の尊厳なのだ。議会には即刻、キャンプの閉鎖と、自然な揺らぎに対する敬意を取り戻すことを強く求める。球体であるという誇りを、けして他人の物差しで削らせてはならない。(コラムニスト:水底の円形主義者・マリモ・ド・ボール)
「丸さ」を捨てるな―球体強制キャンプがもたらす『平坦な悪夢』への反論
0
効率化こそが正義だろ